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2015年10月14日

「おせっかいな人」が学びの場を作る

master (2015年10月14日 15:01) | トラックバック(0)
IMG_7358.JPGこんにちは。穎才学院教務です。
東京都心は今日も天気が良いです。みなさん、ごきげんいかがですか。

 教える上で「おせっかい」は、まず不可欠の資質です。
 「教わりたい」というニーズがまずあって、「教わりたい人」が集まって学校を建てて、先生を呼んできて、謝金を払って……というのはきわめて例外的なことです。
 ふつうは「教えたい」という「おせっかいな人」がまずいて、その人が「教わりたい」という人を集めて、学びの場というのは立ち上がります。
 少なくとも近代的な「学びの場」は、「おせっかいな人」によって創建されたものです。(内田樹『困難な成熟』304ページ)

今日は出勤中に、こんな文章を読みました。

なるほど…。

いい学校やいい塾というのは、近代以来ずっとそうかもしれません。

でも、まてよ…。

ぼくは近代以前にこういう学校を知っているぞ…。


あ!!


綜芸種智院だ!


となったのです。綜芸種智院は828年ごろに、建てられた僧俗共学の教育機関です。久本幸男先生や小山田和夫先生の研究に拠れば、そこでは仏教だけでなく当時のアジアで研究されていたさまざまな学問が学習の対象として取り扱われたそうです。また、律令制度下の「大学」と異なり、特権階級の子弟だけでなく、庶民の子弟が学びにくることができた、というところも特徴だと言われます。研究に拠れば、学生・教員全員に食事が支給されていたとも言われています。ちょうど、本年の大河ドラマ『花燃ゆ』では、井上真央さん演じる「文(ふみ)」という女性が、吉田松陰の主催する松下村塾で塾生たちに握り飯などを振舞うという演出がありましたが、それと同じように、綜芸種智院では食事が提供されていたとも言われているのです。

以前、身銭を切って作られる学びの場所について、記事を書いたことがありました。

今、そういう塾・学舎が全国で草の根的に現われはじめています。世の中には、勉強と仲良しな人もそうでない人もいます。そして、どちらの人もそれなりに健やかに暮らしていけることが望ましいのです。勉強することが得意な人しか生きていけない世の中というのは、どうかんがえても変です。そして、反知性的性質だけでは世の中が健全に回転しないのも事実です。9世紀の京都で空海がどのようなことを考えて、綜芸種智院という学舎を作ったのか、直接本人に聞く術がないのが残念です。とはいえ、貴族の子弟だけでなく庶民も学べる場所を作った空海が、平安京の人々すべてを知的にしようと企てていたとは考えられません。もしかすると、空海も知性と反知性が共存するゴチャゴチャした学舎を作って、ニヤニヤしていたのではないでしょうか。もしそうだとしたら、綜芸種智院の江戸時精神は結果として、江戸時代の寺子屋や志塾に受け継がれていて、現代にもその末裔のような塾・学舎が息づいていると言えるでしょう。

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