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2015年10月10日

「魔女の宅急便」シリーズを読む

master (2015年10月10日 20:00) | トラックバック(0)
51gNPL2Zk9L.jpg東京都心は雨が降り出しそうな天気です。お天気、もつかな?
みなさん、こんばんは。穎才学院教務です。

本日は、小学校5年生の方との授業で角野栄子先生の『魔女の宅急便』を取り扱いました。

授業では、毎回漢字の練習・確認と合わせて、実際に本を手に取り、それを読みあわせていくという作業をしています。

読書経験が豊かな方は、どんどん本を読み進めていきましょう。そうでない方は、まずは字に慣れることからはじめましょう。
さて、今日読んだのは『魔女の宅急便 キキと新しい魔法』の中におさめられている「キキ、赤い靴を運ぶ」というおはなしです。

「コリコの町」で「おとどけ屋さん」(=宅急便屋)をしている「キキ」が「おばあさん」から「赤い靴」のおとどけを頼まれるという話。

このお話では、今と昔の区別やこっちとあっちの区別が上手くつかなくなってしまった「おばあさん」の様子にとまどいながら、キキが持ち前の優しさと誠実さを上手く活かして、最後にはそのおとどけの依頼にきちんと応える、というエピソードが語られます。

この物語の最後に出てきたのが、こんな表現でした。

「あのおばあちゃんはね、心の中で、むかしと今を行ったり来たりしてるみたい。だから、あたしたちもいっしょに行ったり来たりして、たぶん、コダマさんの中の、ちいちゃなコダマさんに靴をおとどけしたのよ」(『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』角川文庫版 240ページ)

「おばあちゃん」で
ある「コダマさん」は、自身の幼いときの「靴」をめぐる体験のために深く傷ついていて、その体験にすっかり囚われてしまっているために、上手くそれと離れることができないでいる人です。いくつになっても、小さいときの「あの経験」に自分がつながれてしまっているのだが、そのこと自体が上手く自分で理解できていない、というのが私たちにとっての「トラウマ」です。

「キキ、赤い靴を運ぶ」という物語は、トラウマに囚われたおばあさんのよくわからない振る舞いに、少女キキが寄りそってみせるという物語でした。この物語を通して、キキは少し成長します。ちょうど、その次の物語では、そんなキキに宛ててこんなお手紙が届けられます。

「キキ、お手紙、ありがとう。ひさしぶりでとてもうれしかったわ。あなた、じょうずにやっているようね。いちだんと成長しているようすが目にみえるようです。ただちょっと考えこんじゃったみたいね。それはキキが物を運ぶだけでなく、たのまれた人の心の中まで、考えるようになったのからじゃないかしら。それはキキが自分のことをしっかり考えるようになったてことだと思うわ。…」(『魔女の宅急便2 キキと新しい魔法』角川文庫版 241ページ)

人の心の様子をあれこれと考えて、困ってしまったり悩んでしまったりする、というのは私たちにも心当たりのあることです。それは私たちが自分のことを考えるということ表裏一体の関係にあることなのかもしれません。

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実際、自分の事について考えるのと人の心についてあれこれ考えるのとは、いっしょくたにされやすい似たような作業です。

というのは、自分の事をよく見定めているのは、実は自分自身ではなく、周りの他の人だからです。人間の評価については、自己評価より他者評価の方が、ほとんどの場合、的を射ているのはそのためです。

他の人のことをいろいろ気づかうことができるようになる、というのは私たちの成長において欠かせないワンステップだと思います。

はじめは自分のために他人を気遣っている人も、時間をかけて少しずつ、自分のことは棚上げにして人を気遣えるように成熟するかもしれません。


確かに、成熟というのは時間のかかる困難な作業です。でも、私たちは子供たちの成熟を願います。まずは手近なところから、子供たちが時間をかけて少しずつ成長していく、というのが私たちの喜びです。

さて、自分のことについて、他の人と自分の関係について、キキのように悩んでしまったときには、物語を手に取ってみてください。そこにはあなたに宛てた素敵なメッセージが隠れているかもしれませんよ。

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