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2015年10月 8日

「村上春樹の小説のテーマって何でしょう?」

master (2015年10月 8日 15:26) | トラックバック(0)
903951-00-3.jpgこんにちは。穎才学院教務です。
みなさま、お元気ですか。

今日は本の紹介をいたします。

内田樹『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)


本著に拠れば村上春樹の物語に通底するテーマは、
世の中には「邪悪なものが存在する」ということです。

村上春樹は、人々が「邪悪なもの」によって無意味に傷つけられ、損なわれる経験を淡々と記述し、そこに「何の意味もない」ことを、繰り返し、執拗に書き続けてきた。(『村上春樹にご用心』210ページ)

邪悪なものが私たちを損なう、というのはよくあることです。
そして、たいていの場合、その邪悪なものが私たちを損なうことに何も意味はありません。私たちが「未熟だから」とか、「過去に罪を犯したから」とか、そういった理由で私たちが損なわれるわけではないのです。

邪悪な人間というのは、残念ながら世の中に現われます。しかも、そういった人は「仮面ライダー」や「プリキュア」の物語の中に出てくるような解りやすい形では存在しません。邪悪な人間というのは、その100%が邪悪なのではなく、その一部分だけが(しかし決定的に)邪悪なのです。ですから、一見すると、普通の人・いい人のように見える人が、時として邪悪な人間として立ち現われてしまうのです。

また、邪悪なのは何も人間だけではありません。世の中に存在する仕組みやシステムの中には、やはりその一部分が決定的に邪悪なものがあります。そういった仕組みやシステムは、私たちに何らかの恩恵をもたらすものでもあるのですが、実は私たちを損なうものでもあるのです。

『1973年のピンボール』という物語の中には、前足を万力のようなもので潰された飼い猫の話が登場します。

「そうさ、猫の手を潰す必要なんて何処にもない。とてもおとなしい猫だし、悪いことなんてなにもしやしないんだ。それに猫の手を潰したからって誰が得するわけでもない。無意味だし、ひどすぎる。でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪がたくさんあるんだよ。あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。」(『1973年のピンボール』91〜92ページ)

私たちもそれは同じかもしれません。しかし、意味も無く私たちを傷つける悪意が世の中のどこかにあることを知っている人の立ち居振る舞いは、そういったことを知る由も無い人のそれと、異なります。無駄かもしれないけど、安全を積み増しする手仕事を惜しまない人は、そのような邪悪なものに対する危機の予感の中に生きている人でしょう。

そういう人は、地道な手間仕事の大切さを知っているからこそ、「『気分のよいバーで飲む冷たいビールの美味しさ』のうちにかけがえのない快楽を見出すことができる」のであり、毎日の何気ない出来事を大切に出来るのだと思います。


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