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2015年9月28日

木佐彩子アナに学ぶ「言葉のひみつ」

master (2015年9月28日 15:12) | トラックバック(0)
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http://www.ayakokisa.com/より(スクリーンショット)

今日の東京都心は少し暑いくらいの天気です。みなさま、お元気ですか。
こんにちは。穎才学院教務です。

本日(28日)の『スタジオパークからこんにちは』(NHK総合)のゲストは、フリーアナウンサーの木佐彩子さんでした。

その中で木佐さんが、英語を話している時は日本語を話している時よりも「ずうずうしい性格」になる、という話をされました。

うーむ。言語学的に深みを感じる話です。

私たちは、「言いたいこと」がまずあって、それが言葉として表現されると考えがちですが、実際は違います。

人間は言語を扱うときに、自分で思っているよりはるかに多くの作業を無意識的に行っています。

私たちの脳は言語という仕組み(=構造)にあわせて、私たちの意識とは関係なく言語を認知します。

つまり、私たちの意識が脳の無意識的作業に先行して、言語をコントロールすることは不可能だということです。

ですから、先に「言葉」があって、「言いたいこと」というのは「言葉」が出来上がった後で初めて感じ取れるものだということになります。。少なくともそれが構造主義言語学以後(つまり100年前から)の理論的常識です。

ですから、海外で英語を習得した人が、英語を聴くと、本人の意識に先立って、その人が馴染んだ英語(英語にもいろいろあります。)に合わせて、その人の脳が無意識的作業を開始するのです。

木佐さんの場合は、木佐さんの脳が無意識的作業をおこなった結果、いつもよりも「ずうずうしい性格」だなと感じられるような言語的振る舞いを木佐さんの身体が選択するようになるのです。

つまり、私たちは話す言葉によって性格も考え方も変わる、ということです。

これは、日本語においても同じ。

例えば、共通語(東京の言葉)と関西弁(大阪の言葉)とを使い分ける日本人がいるとします。

その人は、共通語を話すときに比べて、関西弁を話し出すと妙に能弁になったり、声のトーンが上ったりさえするのです。

まるでキャラが変わったような感じが、聞いている人にはするでしょう。

関西弁も、大阪の言葉なのか、京都の言葉なのかで、それを使う人のキャラは変わるように感じ羅られます。大阪の言葉だって、それが「キタ」の言葉なのか、「ミナミ」の言葉なのか、「河内」の言葉なのかで、全然違います。話し手の性格が全く違って聞こえるはずです。

それは、京都の言葉が「はんなり(と嫌味っぽく)」と聞こえるから、河内の言葉が何だか「けんかっぱやく」聞こえるから、という音声的特徴にとどまるものではありません。京言葉を使えばそれに基づいたキャラに、河内弁を使えばそれに基づいた性格に、私たちの身体はモードの書き換えを行うのです。

大阪の「吉本新喜劇」には、「おんどれわりゃー、いてまうぞー」という表現を「こんにちは」の代わりのように使うキャラクターが登場します。

実生活で日ごろからそういう言葉使いをする人は、本当にそういう人になるんです。大阪のそーゆー「にーちゃん」または「おっちゃん」になります。

私たちの言葉遣いは、私たちの性格を決めるものです。

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