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2015年9月25日

成長する「場所」の物語としての『まれ』

master (2015年9月25日 14:39) | トラックバック(0)
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東京都心は雨です。みなさま、急に寒くなりましたがお風邪など召していらっしゃいませんか。
こんにちは。穎才学院教務です。

いよいよ、今週でNHK連続テレビドラマ小説『まれ』が最終週です。明日9月26日が最終回。
(画像はHPのスクリーンショット。 http://www.nhk.or.jp/mare/より引用。)

最終週は「希空ウエディングケーキ」というタイトルで、物語の佳境が描かれています。
以下は内容に関する言及(いわゆる「ネタバレ」)がありますので、録画や「NHKオンデマンド」の利用などでドラマの視聴を楽しみにしている方は、視聴後にお読みになると良いかもしれません。



本日(9月25日)は、ついに「徹」(大泉洋)が帰ってきました。

『まれ』という作品を通して、登場人物はそれぞれ「能力」を持つものとして描かれています。
例えば、ヒロインの「津村希」(土屋太鳳)が持つ能力は、「味覚」と「集中力」。「希」はパティシエとして欠かせない優れた味覚を身に備えているのに加えて、何事にもこれと決めたら一点突破するのに必要な「集中力」を兼ね備えています。物語中で複数の「能力」を与えられたキャラクターは「希」と「池畑大悟」(小日向文世)の二人だけです。この「希」の天賦の能力が、ダークサイトに堕ちていたころの「一子」には、気になって仕方がなかったのでしょうね。仕方のないことだと思います。『まれ』という物語における「津村希」は、ハリーポッターシリーズの物語における「ハリーポッター」の立ち位置にいる人です。ハリーポッターシリーズの物語が、「ハリー」という少年の成長譚であるように、『まれ』と言う物語は「津村希」という少女の成長の物語であったのでした。

ところで、本作品を通して、ダメダメな人間として描かれ続けていたのが、「希」の父親である「津村徹」です。しかし、今週はついにその「徹」の能力が判明しました。

「徹」の能力は、メンター(導き手)としての力です。

「徹」は「希」が子供のころからずっと「希」を「世界一おいしいケーキを作る」という夢の方へ導いてきました。それは「徹」がそれと知ってしていたことではありません。横浜で買ってきたケーキを「希」が食べて、パティシエへの夢の階段を歩きはじめるのも、実際偶然ではありますが、「徹」がいなければありえなかったことです。

いつも「徹」は「希」を導いてきた。そのことに気付いたのは「大悟」でした。

「大悟」自身もメンター(導き手)としての力を持ったキャラクターです。メンターというのがわかりにくければ、師匠と言ってもいいですね。「大悟」は「希」の師匠です。物語内に登場する師匠キャラには、2つのパターンがあります。1つは、能力の高い師匠。もう1つは能力を持たない師匠です。「スターウォーズシリーズ」における師匠としてのジェダイたちは、前者にあたります。「大悟」は、ジェダイと同質の「強い師匠(メンター)」として物語内で振舞います。(よって必然的に「大悟」は「優秀なパティシエ」と「メンター」という2つの能力を兼ね備えているのです。)

「大悟」は、「希」を夢の階段の頂上に導くために心血を注いでいる人です。自分で出来るところまで引っ張って、最後は誰かにパスしようと思っている。(たぶん、「大悟」があてにしているのは、彼の師匠である「ロベール幸枝」でしょう。「希」のおばあちゃんです。)

そんな「大悟」だからこそ「徹」のことを理解できたのでしょう。そして今後も「徹」が「希」には必要であり、また「徹」にとっても「希」たち家族と暮らすのが良いと思わずにはいられなかったのだと思います。

そして、今日(9月25日)は「徹」の帰宅の日となりました。

まずは「希」の店に現われた「徹」。家族の中でいちばんおっとりとした「希」のところに最初に来るあたり、さすが心得ています(笑)。

そして「希」は「徹」に対して、あなたはここにいても良いのだ、と伝えます。

あなたはここにいても良いのだ。

これは極めて純度の高い愛の言葉です。

それは、やがて、

あなたがいなければ私は生きていくことができない

という最高純度の愛情表現につながる。

もし、全うな強い人間でなければ、家族のメンバーになることができないのなら、

私たち人間(ホモサピエンス)は、とうの昔に、絶滅しているはずです。

私たちは生き残ることを最優先の課題として進化し続けてきた。その結果、私たちが獲得したのが言語知性であり、家族や社会といった概念的制度です。

言葉は、私たちが楽しく、健やかに、安全に生きるために役立つよう使われるべきだと思う。

そして、家族や社会といった概念は、やはり私たちが幸せに生きていくためにあるのだと考えた方がいいと思う。

頭が悪くても、金が稼げなくても、うそつきでも、臆病でも、ここにいていいんだよと認められる。

それが家族です。

弱い人や未熟な人に対して「うちの子じゃありません!」ということは誰にもできない。

そういう人たちが生活することを認める場所が家族なのではないでしょうか。いや、そうなんです(笑)

『まれ』と言う物語は、ヒロインたちの成長の物語であったと同時に、

人間が生きるのに必要な「場所」の物語でもありました。

だから、『まれ』の最終回の重要なシーンは「希」にとっての大切な場所をめぐるものになるはずです。

その場所では、「徹」のような弱い人間にもあなたはここにいても良いのだという承認のメッセージが贈られる。

そして、近いうちに、「徹」はきっとこの言葉を聴くことになるでしょう。

あなたがいなければ私は生きていくことができない

そうしたときに、みんなは幸せになることができるのです。

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