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2015年9月19日

民主主義をめぐるおはなし

master (2015年9月19日 14:44) | トラックバック(0)
東京都心では清々しい秋空がひろがっています。みなさま、連休の初日をいかがおすごしですか。

9月から再開された学校も3週間がたって、生徒たちは授業などにもだいぶ慣れたころでしょう。

小学6年生と中学3年生は社会科の時間に「公民」として、世の中の仕組みについて、学びます。

いま子供たちにつたえたい民主主義をめぐるお話。3つのお話をいたしたいと思います。

まずは1つめ。

「みんしゅしゅぎ」ってなんでしょう。「しほんしゅぎ」とはちがうなにかなのでしょうか。「じゆうしゅぎ」というものがあるとすると、それは「みんしゅしゅぎ」とおなじなのでしょうか、ちがうものなのでしょうか。

「じゆうみんしゅとう」とか「みんしゅとう」とか「きょうわとう」とか、似たような名前の大人たちのグループが私たちの世界にはありますが、そのグループはたがいにどんなちがいがあるものなのでしょうか。

そもそも「民主主義」とは、どのようなものなのか。ここでは辞書で調べてみることにしましょう。

国民が主となって、国民全体の幸せのために、話し合って政治をしようとする考え方。自由・平等・人権の尊重をもととする。デモクラシー。(小学館『例解学習国語辞典』による)

人民が国家の主権を所有し、自らのためにその権力を行使する政治形態。デモクラシー。古代ギリシアの都市国家に始まり、一七、八世紀の市民革命によって一般化した思想。現代では、性事情だけではなく、広く人間の自由や平等を尊重する立場をいう。(大修館『明鏡国語辞典』による)

語源はギリシア語のdemokratiaでdemos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人民が行使するという考えとその政治形態。古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って新革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される。(岩波書店『広辞苑 第六版』による)

人民が権力を所有するとともに、権力をみずから行使する政治形態。権力が単独の人間に属する君主政治や少数者に属する貴族政治と区別される。狭義には、フランス革命以後に私有財産制と前提とした上で、個人の自由と万人の平等を法的に確定した政治原理をさす。現代では、政治の原理や形態についてだけでなく、社会集団の諸活動の在り方や人間の生活態度についてもいう。デモクラシー。(小学館『精選版 日本国語大辞典』による)

ひとつのことがらについて、複数の辞書を使って調べるというのは、学問の基本です。

今回4つの辞書の説明を重ねあわせてみると、何か浮かび上がってくることがらはありませんか。

もし、あるとしたら、それがいまのあなたにとって大切な民主主義的事柄なのでしょう。

私にとって大切なのは、民主主義において権力の行使は私たち人民によるのだ、ということ。力の強いひとはその力をつかって困った人を助ければよいし、頭の良い人はその頭脳を使ってやはり困った人を助ければよいでしょう。ということは、私たちは、私たちが所有する「権力」という力を、困っている誰かに向けて行使するべきだと言えるでしょう。それはただ単に社会的弱者に対してというだけにとどまりません。将来の私たちやこれから私たちの社会に加わる新しい世代に対して、それは同じです。弱者としての自分自身や未来の世代への支援としての力の行使が私たちには求められるのではないでしょうか。

2つめは70年ほど前にイギリスの政治家が言った言葉についてです。

It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.  - Winston Churchill (ウィンストン・チャーチル) -

民主主義は最悪の政治形態らしい。ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。

少々まわりくどいこの言い方は、民主主義の大切な性質をうまく言い当てています。

この表現がまわりくどいように、民主主義と言う制度はそれ自体が非常にまわりくどいものです。

新しいことが中々きまりません。民主主義的議会政治においては、議論の内容だけでなく、議事進行の手続きが重視されます。これは端から見ていると非常にまどとっこしい。

でも、そのようなスピード感のない政治システムだからこそ、民主主義はゆっくりとものごとを取り扱わざるをえない政治形態をつくりだすのです。

私たちの世界にはさまざまな「正しさ」がありますが、そのコンテンツに関わらず、どのような「正しさ」に基づいたとしても、急激な社会変革は悲劇(たいていは大きな悲劇)をもたらします。

作家の村上春樹は、バルセロナ賞という文学賞の受賞スピーチで、そのことを「災厄の犬」という喩えを使って説明しました。

「正しさ」の程度に関わらず、急激な変化の要求は、私たちを不幸にするものです。そのような急激な変化の要請を発見したら、私たちはその「災厄の犬」から上手く身を守らなくてはなりません。

チャーチルという政治家が言ったように、民主主義という政治制度は、非常にまどろっこしいものでありながら、私たちの生活を「災厄の犬」から守ることを使命としていくれているのです。

そして3つめです。

どのような社会的な概念も、人間が幸福に、豊かに、安全に生き延びるために考案されたものです。「責任」という概念もそのひとつです。「責任」は「鍋」とか「目覚まし時計」のように、実態的に存在するものではありません。でも、それが「ある」というふうに考えた方がいいと昔の人は考えた。それをどういうふうに扱うのかについて、エンドレスに困惑することを通じて、人間が倫理的に成熟してゆくことを可能にする、遂行的な概念だからこそ、作り出されたのです。(内田樹『困難な成熟』による)

「責任」という社会的概念について論じたこの文章は、同じく社会的概念である「民主主義」の理解にも役立ちます。「責任」の部分を「民主主義」に置き換えて読んでみてください。


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