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2015年9月14日

賢い「プリンセス」は誰??

master (2015年9月14日 15:18) | トラックバック(0)
東京都心は、気持ちの良い秋空です。板橋区もすごしやすい気温です。みなさん、ご機嫌いかがでしょうか。こんにちは。穎才学院教務です。

昨日、私の友人とディズニーの物語について話をする機会がありました。

そこで、話題になったのは、いわゆる「プリンセス」たちの中で、賢いのはだれか、というものでした。

みなさんは、だれだと思われますか??



まず、プリンセスたちは、みんな「ここではないどこか」があると信じる力を持っています。

それは、ウォルト=ディズニー風に言えば「夢の力」。

今いるここではないどこかに強く憧れるのが、彼女たちの特徴なのです。実はこの「力」には良いところだけでなく、悪いところもあるのですが、そのことは今回は話しません(笑)。

そんなプリンセスの中で際立って賢いのは「ベル」だと思います。そして次点が「ジャスミン」。生粋のディズニーファンである友人も同意見でした。

まず、『美女と野獣』のヒロイン、「ベル」についてです。

彼女は本を読むのが大好きです。彼女が読むのは物語ばかりです。ですから、物語を子供向けのフィクションと侮る人にとって、ベルはあまり賢く見えないのでしょう。けれども、物語は本当に奥行きの深いものです。物語を読む人は、知性とある意味で親和的な人であると言えるでしょう。

私の説では、ベルが賢く健やかに育ったのは、親が「おバカ」だからです。父親のモーリスは、とてもいいパパですが、頭が良いとはお世辞にもいえません。発明家である彼が作り出すのはトンチンカンなものばかり。物語中では、彼の発明がベルと彼の危機を救うきっかけになるものの、それはとてもスマート(知的)なつくりのものではありません。ということで、私は「モーリス=おバカ」説を採用しているのですが、親が「おバカ」な方が子供は健やかに賢く育ちやすいと思っています。

哲学者の内田樹先生が、御息女と御自身との関係をかえりみて、御自身を「バカボンのパパ」に喩えられたことがあります。

るんちゃんからの父の日カード。これが娘から見た僕のイメージなんだとしたら、うれしいなあ。僕もバカボンのパパのように過激に生きたいです。(2015年6月24日 内田先生のツイッターより)

「るんちゃん」は先生の御息女のこと。彼女から先生に宛てて贈られた父の日のメッセージカードのイラストが「バカボンのパパ」だったのです。それについて父親としてうれしいとおっしゃる先生。

内田先生によれば、親は子供に早く乗り越えられるべき存在です。親は先生にはなれませんし、なってはいけない、というのが彼の持論です。私もそうだと思います。(私は父親になったら、家にいるときはいつもガンプラを作ったり、ゲームをしたりしているような「おバカ」なオヤジになります。「国語」なんか絶対に教えません。先生としての私みたいな理屈っぽい父親がいたら、絶対に子供は嫌でしょうから。)

そんな素敵な父親に育てられたベルは、健やかに知的に育ちました。その健やかな知性に支えられた彼女の優しさが、やがて「野獣」としての王子と彼の王国にかけられた魔法を解くことになるのです。

さて、「ジャスミン」はと言えば、彼女の優しさは楽曲「ホールニューワールド」が歌われるシーンに見て取ることができます。楽曲のラストで「アラジン」は、魔法の絨毯でランデブーしながら、彼女にリンゴの実を取って渡します。その渡し方が、とても「独特」なのですね。

アラジンは、左手でリンゴを取って、それを右肩にひょいと乗せ、肩から腕にそれを転がして、右ひじでリンゴをひょいっとはねてみせるのですが、この「無意味な動作」を見て、ジャスミンは彼がアグラバーの町で出会った「あの好青年」であったことを確信するのです。(ここのあたりにも、実は物語的に大切な構造が潜んでいるのですが、そのことについてはまたの機会に。)

ジャスミンの賢さは、宮殿で目の前に現れた「王子」が、それとは社会的立ち位置が似ても似つかない、アグラバーの町で出会った「あの好青年」であると察知する、身体的感性の高さにあります。

ジャスミンたちが生きる世界において、王子と庶民の間にはものすごい違いと隔たりがあります。普通の人なら、王子が庶民であるなんて思いもしません。でも、彼女はその間にきちんと理解の橋を架けることができた。これは、かなり高度に知的な振る舞いです。

それは、ベルも同じです。野獣としての王子が、人間の姿にもどったとき、彼女は戸惑いました。たとえ、目の前の王子がハンサムな男性であったとしても、彼女にとって大切なのは、優しい心を持ったあの野獣であるからです。しかし、彼女はすぐに気が付きます。目の前の男性が野獣と同じ、あの優しい目の持ち主だったからです。

アラジンのリンゴの曲芸、野獣=王子の優しい眼差し。彼女たちは、自分が愛するパートナーの身体が醸し出す身体的な徴(しるし)を決して見逃しません。それは彼女たちが優れて身体的な知性を備えているからなのです。

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