2015年9月10日
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master (2015年9月10日 15:28) | トラックバック(0)こんにちは。穎才学院教務です。関東地方は激しい降雨にみまわれました。みなさま、おかわりありませんか。

さて今日の出来事ですが、自宅の最寄駅でサラリーマン風の男性が電話でこんなことを話しているのがきこえまし
た。
「…責任とれって言われるだろうからさ、ちゃんともう一度確認しておいた方がいいよ。…」
なんだか、違和感。
男性の発言は、一見すると、コンテンツとして何の問題も無いものに思われますが、私の耳には違和感がありました。
それは、私が「責任を取る」ということについて、彼と異なる考え方を持っているからです。
「責任を取る」ということは、原理的に「不可能」です。
それでも責任という概念は私たちの社会において欠かせません。
責任を取ることは不可能なのに、責任を取るという観念が大切なのは、どうしてか。
それは「わかった。じゃあ、私が責任取るから。」という立ち位置を選びとることが出来るという、倫理的な身構え・心構えを取ることが出来る人を、私たちの社会が必要としているからです。
1990年代にテレビ東京系列で放映されたアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』には、「責任者は責任取るためにいるからな。」という台詞が登場します。「使徒」とよばれる外敵を撃退するミッションを遂行した後で、ミッション遂行中に発生した家屋・施設・機器等の損壊について、責任を取るべく始末書のたぐいを書きまくる「葛城ミサト」という登場人物のことを指して言った台詞です。「ミサトさん」のような「私が責任取るから。」と言ってくれる指揮官がいるから、ミッションは上手くいったのです。
また、やはり1990年代にフジテレビ系列で放映されたドラマ『踊る大捜査線』シリーズには、「責任は俺が取る」と言い放つ人物が登場じます。警視庁のキャリア組として管理官クラスの立場にある「室井慎次」という登場人物です。映画『交渉人 真下正義』では、室井管理官が「責任は俺が取る」と言ってくれることで、主人公である真下警視たちが、過酷な捜査に専念できることになるのです。
ミサトさんや室井管理官のような「私が責任取る」という立ち位置を選び取ることが出来る人は、大人です。我が師、内田樹はこう言います。
責任というのは、誰にも取ることのできないものです。にもかかわらず、責任というのは、人に押しつけられるものではありません。自分で引き受けるものです。というのは、「責任を引き受けます」と宣言する人間が多ければ多いほど、「誰かが責任を引き受けなければならないようなこと」の出現確率は逓減してゆくからです。
どのような社会的な概念も、人間が幸福に、豊かに、安全に生き延びるために考案されたものです。「責任」という概念もそのひとつです。(内田樹『困難な成熟』による)
「責任とは自分で引き受けるものです。」
この言葉を胸に刻んで、今日も仕事に取り組みます。
さあ、内田樹『困難な成熟』、おすすめの本です!是非、手に取って、お読みください。
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