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2015年9月 3日

「模擬試験の結果」の見方

master (2015年9月 3日 15:15) | トラックバック(0)
秋雨の天気が続きます。ときおり顔を見せてくれる青空がとても美しく見える季節になりました。

みなさま、お元気ですか。穎才学院教務です。

学校では授業が本格的にはじまったころでしょうか。

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穎才学院の生徒も一生懸命学んでいます。写真は合宿での集団授業の様子です。合宿が行われた志賀高原は東京より気温が低い上、教室としてしようした場所が特に涼しかったため、生徒たちはレクリエーション用に用意した着ぐるみを着て、身体を冷やしすぎないようにしながら勉強しています。

これからは体調管理もいっそう大切になりますね。

さて、世間では模擬試験が実施されたり、模擬試験の結果が返却されたりするころでしょう。中学生も高校生も、受験生は9月以降模擬試験受験の機会が多くなります。当然、受験後に模擬試験の結果が返ってくるわけですが、先日、「模擬試験の結果」の見方について質問されたので、そのことについて書こうと思います。

「模擬試験の結果」を見るとき、「前進的に推理(reason forward)」する人と「遡及的に推理(reason backward)」する人とがいます。私は、「遡及的に推理」することを薦めています。「模擬試験の結果」を見て、なぜだか上手く説明できないポイントを発見して、それを手がかりになぜそんなことが起きているのか考えるようにしているのです。

は?

と、思った方は、シャーロック・ホームズによる以下の説明を手がかりにしてみてください。

「うまく説明できないもの(what is out of the common)はたいていの場合障害物ではなく、手がかりなのだ。この種の問題を解くときにたいせつなことは遡及的に推理するということだ。(the grand thing is to be able to reason backward)このやり方はきわめて有用な実績を上げているし、簡単なものでもあるのだが、人々はこれを試みようとしない。日常生活の出来事については、たしかに『前進的に推理する』(reason forward)方が役に立つので、逆のやり方があることを人々は忘れてしまう。統合的に推理する人と分析的に推理する人の比率は50対1というところだろう。」
(アーサー・コナン・ドイル『緋色の研究』による)

どうですか?やっぱりよくわかなくても、あまり心配はいりません。というのも、このホームズの台詞の直後で、ワトソン博士は「正直、君の言っていることはよく理解できないのだが。」と困惑しながら言うのです。

ワトソン博士は19世紀のイギリス人医師です。そんな彼がよくわからないと言うのですから、ホームズが言っていることはやはり簡単なことではありません。

でも、ここでホームズはなんだか大切なことを言っている気がしませんか?その直感は正しいと思います。

彼が言うように、前進的に推理することより、遡及的に推理する方が私たちにとっては有効な知性です。それは、そういうことをした方が私たちの脳が活動的になるからなのですが、こういう説明をする人は世の中にあまり多くありません。

「あるはずのないものがある」とか、「あるはずのものがない」とかいうようなことに気が付き、それについて考えを深めることができるタイプの知性は、非常にレアなのです。でも、このようなタイプの知性の持ち主がいないと、私たちヒト(ホモ・サピエンス)は生き延びることが出来なかったはずです。

「あるはずのないものがある」とか、「あるはずのものがない」とかいうようなことに気が付き、それについて考えを深めるという行為、つまり「うまく説明できないもの(what is out of the common)」を手がかりに考えるということ自体は、ホームズが言うように、そんなに難しいことではありません。しかし、そういう考え方がありうるということを理解するために、少なからざる言語的知性を必要とするのです。そこさえ上手くクリアできれば、みなさんもホームズのようなレアな知性の持ち主になることができるでしょう。

そういえば、「模擬試験の結果」の見方について話していたのでした。

模擬試験の結果を見るときに、前進的に推理するというのは、「合格判定」に関心を寄せたり、「自身の偏差値」と「志望校の偏差値」との差異に執着したりするというような仕方としてあらわれます。これはこれで有効なこともあるのですが、このような推理の仕方というのは、いわば50人中50人の人が出来る仕方なので、わざわざ他人を頼る必要はありません。

模擬試験の結果を見るときに、遡及的に推理するというのは、模擬試験の結果の中から「うまく説明できないもの(what is out of the common)」を見つけることから始まります。「何で英語と数学はできているのに、国語ができていないのか」とか、「どうしてこの設問だけきちんと解答できたのか」とか、そういったことを考えるのです。そのためには偏差値などがしるされた個票だけを見ているのでは不十分です。返却された答案用紙や、日ごろのその方の身構えなど、さまざまなことを手がかりとしながら、「あるはずのないものがある」とか、「あるはずのものがない」とかいうことについて考えを深めていくのです。

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