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2014年10月 6日

「激甚な災害」と「台風18号」をめぐって

master (2014年10月 6日 14:22) | トラックバック(0)
みなさん、こんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。穎才学院教務です。

本日10月6日、首都圏は台風18号による暴風・豪雨に見舞われました。14時現在、板橋区穎才学院の周辺では、大きな被害は確認されていません。

ブログをご覧の皆様も、御無事でお変わりなくいらっしゃることを願います。

さて、10月6日、穎才学院は臨時休講となりました。これは、4日中に決定された事項です。

何故、今回、私たちは早い段階で、休講を決定したのか。それは、台風接近にあたり、子供たちの身の危険を直感したからです。そしてそれは、本年の9月までに起こった激甚な災害を通して、私たちが自然の動きの予想のつかなさを痛感したからだと言ってよいでしょう。

正直、5日の予報で、台風の進行するスピードが当初の予想より速くなったのを知って、6日を休講とする判断は早計であったか、と思うむきもありました。

しかし、今回そもそも私たちは「台風接近にあたって、子供の身を守らなくてはならない」という直感から、休講を決定したのでした。4日の時点での台風に関する予報は、その直感を後押しするものとして利用されたにすぎません。

自然の動きが私たちにとって予想のつかないものである以上、子供の身の危険を予側する直感は、大切なものであると私たちは考えています。

塾の経営効率より、塾生と講師の安全が第一です。

今後も、穎才学院の災害対応にご理解とご協力をお願いいたします。

ところで、2014年、私たち日本人は、科学的予測・予報の範囲を超える激甚な災害を数度経験しました。そのたびに、私たちは科学的予側・予報の想定が及ばない自然の猛威に恐怖したはずです。

もちろん、科学的知見に基づく予側・予報は欠かせません。気象庁をはじめとする予報機関に関わる方たちの日々の努力によって、私たちの生活はいつも安寧を享受しています。

ただ、予測・予報が100%確実な未来を言い当てるものでないということを、自然科学を丁寧に取り扱っている人ほど、よく理解しています。そもそも、自然災害についての予測・予報は、常にある時点の観測結果に基づく確率論的な推測にすぎないからです。100%確実な未来を言い当てるという行為を悪魔の所業に喩えて言う(いわゆる「ラプラスの悪魔」のこと。フランスの数学者ピエール=ラプラスによる比喩がしばしば引用される)のは、それが科学に関わる人間の実感であるからです。

もちろん、そのような実感を持つのは、科学者だけではありません。

小説家の森岡浩之は、「確率論的」というのを「でたらめ」の高級語彙である、と言いました。

私たちも、予測・予報が100%確実な未来を言い当てるものでないということを、一般的に理解しています。

暴風、大雨、大潮、落雷、地震、噴火といった自然現象と共に生活する私たちにとって、そのような自然に対する畏怖の気持ちは、常に胸に留められなければならないと思います。

小説家の村上春樹は、バルセロナで2011年に文学賞を受賞した際、次のように言いました。

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。私たちはそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そして、それらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さなひかりを失い、鮮やかな色を奪われていくのを確認し、そのことでむしろほっとするのです。
 そのような精神性に、自然災害が影響を及ぼしたかどうか、僕にはわかりません。しかし私たちが次々に押し寄せる自然災害を、ある意味では仕方ないものとして受けとめ、その被害を集団的に克服していくことで生きのびてきたことは確かなところです。あるいはその体験は、私たちの美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

村上春樹によれば、私たちにとって自然災害による被害の克服は「集団的」で「精神的」なものであるのです。

そもそも、私たちは宇宙という空間に「間借り」をさせていただいている小さな小さな生き物のグループです。そのような私たちが、宇宙(あるいは地球)の物理的運動によって、多少の被害を被っても、いったい誰にクレームを付ければよいと言うのでしょう。

宇宙の物理的運動の前で、人間の大義名分など、何の役にも立ちません。

村上春樹は同じスピーチでこのようにも言っています。

 私たちは夢を見ることを恐れてはなりません。理想を抱くことを恐れてもなりません。そして私たちの足取りを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。私たちは力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」になるのです。

この表現は、2011年に起きた福島での原子力発電所事故を指してのものです。とはいえ、ここで村上春樹が言うことは、原子力発電所以外についての私たちの取り扱いにも当てはまります。

自然と共に生きるうえで、私たちは、私たちの足どりを、「便宜」や「効率」といった名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。

私たちは、子供の成熟に関わるお仕事をさせていただいています。ですから、私たちにとっての理想は、常に子供たちの成熟に向けたものであるはずです。そのような私たちの理想への足取りを決して「便宜」や「効率」などで遅滞させてはいけないのです。

静かな塾で、今日は、そのようなことを想います。

これから、冬期講習などの準備を始めようと思います。みなさんの学びが寒い冬も健やかなものでありますように。

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