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2013年7月15日

サン=テグジュペリ『星の王子さま』(河野万里子訳)

master (2013年7月15日 16:14) | トラックバック(0)
こんにちは、穎才学院教務です。蒸し暑いですが、先週の今ごろに比べると、少しすごしやすく感じます。とはいえ、くれぐれも体調には気を付けて。みなさま、お元気でお過ごしください。

さて、サン=テグジュペリ『星の王子さま』(河野万里子訳、新潮文庫)を読みなおしました。サン=テグジュペリの挿絵に可愛らしい金字を施した、とても綺麗な装丁の文庫本です。

LORSQUE j'avais six ans j'ai vu, une fois, une magnifique image, dans un livre sur la Forêt Vierge qui s'appelait << Histoires Vécues >>. Ça représentait un serpent boa qui avalait un fauve. Voilà la copie du dessin.

という、”Le Petit Prince”(『星の王子さま』)の冒頭を、河野万里子先生は、

僕が六歳のときのことだった。『ほんとうにあった話』という原生林のことを書いた本で、すごい絵を見た。猛獣を飲みこもうとしている、大蛇ボアの絵だった。再現してみるなら、こんなふうだ。

と訳しました。『星の王子さま』の新訳は、いくつか出版されていて、訳者ごとにテクストの趣きが異なります。本書(河野万里子先生)は、「子どもに読みやすく訳された『星の王子さま』」であると言えるでしょう。

そもそも原題”Le Petit Prince”は、逐語訳では「小さな王子さま」といったところです。その題名が、『星の王子さま』という優しく豊かな響きのタイトルとなったのは、内藤濯(あろう)氏の素晴らしい名付けによるものです(岩波少年文庫、1953年初出)。

”Le Petit Prince”という原題を、『星の王子さま』と読んだときから、私たちと物語との繊細で美しい関係がはじまりました。ある訳者の邦訳だけで『星の王子さま』を読む人も、さまざまな邦訳を比較して『星の王子さま』を読む人も、フランス語で”Le Petit Prince”を読む人もいるでしょう。どのような読み方をしても、私たちにとって、『星の王子さま』という物語は、邦訳の向こう側にある原書”Le Petit Prince”のさらに向こう側にある「何か」として現われるのです。

「キツネ」が「小さな王子さま」にプレゼントした「いちばんたいせつなことは、目に見えない」という言葉は、”Le plus important est invisible.”を翻訳したものです。私たちは、「その向こう側に何かがあるもの」と「その向こう側には何もないもの」とを見分ける力を持っています。そして「その向こう側に何かがあるもの」に強く魅かれるのです。ここで「その向こう側にある何か」が「見える」必要はありません(まさに、「いちばんたいせつなことは、目に見えない」のです)。たとえ「その向こう側にある何か」が見えなくても、たくさんの修行を積んだお坊さんの居住まいは美しいものですし、血のにじむような努力を積んだ料理人の料理は美味しいですし、たくさんの本を読んでいる人の言葉には奥行きがあるものです。

「キツネ」に言われて、「バラたち」に会いにいった「王子さま」は、外見は美しいけれど中身はからっぽな「バラたち」を見て、「ぼくのバラ」がこの世に一輪のバラであった、ということに気付きます。

「きみたちは美しい。でも外見だけで、中身はからっぽだね」王子さまはさらに言った。「きみたちのためには死ねない。もちろんぼくのバラだって、通りすがりの人が見れば、きみたちと同じだと思うだろう。でもあのバラだけ、彼女だけが、きみたちぜんぶよりもたいせつだ。ぼくが水をやったのは、あのバラだもの。ガラスのおおいをかけてやったのも、あのバラだもの。ついたてで守ってやったのも、毛虫を(蝶々になるのを待つために二、三匹残した以外)やっつけてやったのも。文句を言ったり自慢したり、ときどきは黙りこんだりするのにまで、耳をかたむけてやったのも。だって彼女は、ぼくのバラだもの」

「キツネ」は「王子さま」に言います。

「きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみが、バラのために費やした時間だったんだ。」

そして、さらに言うのです。

「でも、きみは忘れちゃいけない。きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみは、きみのバラに、責任がある……」

物語のなかで「王子さま」は、砂漠の砂の上に頽れる直前まで、今は遠く離れたところにいる「ぼくのバラ」への責任を感じ続けます。

「ね……ぼくの花……ぼくはあの花に責任があるんだ!それにあの花、ほんとうに弱いんだもの!ものも知らないし。世界から身を守るのに、なんの役にも立たない四つのトゲしかもってないし……」

小さな王子さまは、自分の身を投げ出して、共にたくさんの時間をすごして絆を結んだ弱きものを守ろうと思うような、私たちにとり大切なことをきちんとわきまえた存在でした。

「王子さま」にとっての「ぼくのバラ」や、語り手「僕」にとっての「王子さま」のように、相手のために自分の身を投げ出し、共にたくさんの時間をすごして絆を結んだ「弱きもの」が、政治やトラップのブリッジや、ゴルフやネクタイや、権威や称賛や、酒や資産のようなものよりも、私たちにとり本当はかけがえのないものであるのだ、ということを物語は私たちにやさしく語ってくれるのです。たとえ、その「弱きもの」が、今はすぐ側にいないとしても。

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