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2010年3月17日

【源氏物語 現代語訳】「桐壺」(光源氏の誕生)その1

master (2010年3月17日 18:26) | トラックバック(0)
 どの天皇の御代であったか、女御・更衣が大勢お仕え申していらっしゃったなかに、とりわけ高貴な身分ではないが、格別に帝の愛を受けておいでの方があった。初めから「私こそ帝の寵愛を受けるはずだ。」と自負していらっしゃったお后方は、心外なものとしてさげすんだりねたんだりなさる。同じ身分やそれより身分の低い更衣たちは、なおさら心おだやかでいられない。朝夕の宮仕えにつけても、他の女御や更衣たちの反感をばかり買って、人々の恨みを受けることが積もったのであったのだろうか、たいそう病気がちになっていき何となく心細げな様子で実家に下がりがちであるのを、ますます心残りでいとしいものにお思いになって人の非難に対しても気兼ねなさることがおできにならず、世間の前例にもなってしまいそうなご寵愛ぶりである。上達部や殿上人なども、むやみに目をそむけて「まことにまともに見られないほどの帝からの気に入られようである。中国においても、こういった原因によって、世の中も乱れひどかったのだ。」としだいに世間でもおもしろくないことと思い、人々の悩みの種となって、楊貴妃の例まで引き合いに出すにちがいないほどになっていくので、ひどくきまりが悪いことが多いのだが、もったいないご愛情が比類ないことを頼みとして宮仕えをなさる。
 父の大納言は亡くなっていて、母北の方が、家柄も古い家の出で、教養の身に付いた人であって両親がそろい、現在世間の信望がはなやかである御方々にひどく劣ることなく、色々な宮中の行事ををこなしていらっしゃったが、これといって、しっかりした後見役がいないので、何事かある時には、やはり頼りどころがなく心細い様子である。

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