板橋の塾 穎才学院のブログ 【エイサイブログ】 穎才学院ホームページへ

2012年11月19日

子どもは、どこにいくのかわからなくても、何をすべきか知っている。

master (2012年11月19日 20:24) | トラックバック(0)

朝ごとに冷気が加わるようになりました。穎才学院でも手袋やマフラーで冬仕度をした小学生・中学生・高校生が元気に塾にやってきます。受験やテストなど、それぞれの目標に向かって勉強する様子が、教室や自習室であふれています。楽しくも真剣に、協力して学びに向き合う東大生講師と塾生の姿を見ていると、彼らが社会で互いに持ちものや技術をさし出しながら助け合う大人になってくれるだろうと、頼もしい気持ちになります。

村上春樹の小説『海辺のカフカ』には、「ナカタ」という老人が登場します。「ナカタ」さんは幼いころに遭遇した不思議な出来事のせいで文字の読み書きができません。しかし、「ナカタ」さんは鞄の中に入った食べ物や傘や魔法瓶を使って、食事をとったり、突然の雨をしのいだりして、上手く生きていくことができます。また、人に助けを求めることも上手です。まともに相手にしてもらえないこともありますが、ゆっくり時間をかけているうちに、親身になって助けてくれる人に出会えます。

村上春樹の小説の多くは、突然起こった不幸やトラブルに、手持ちの道具を上手く使って、仲間の援助を得ながら立ち向かい、ささやかな幸せを取り戻す物語になっています。いわば、何がいつ起きるかわからないこの世界で上手く生きるためのマニュアルです。ちょうど、『1Q84』の世界で『空気さなぎ』の物語が、「天悟」と「青豆」の二人にとり世界を上手く生きるためのマニュアルとなるように私たちの世界でも様々な物語が、私たちが上手く生きることを助けてくれます。

再び『海辺のカフカ』の「ナカタ」さんの話。妙な縁から行動を共にすることなった「ホシノ」青年に「で、これからどこに行くんだい?」と聞かれた「ナカタ」さんは、

「ナカタにはまだよくわかりません。しかしここ着いてわかっのですが、ここからさらに橋を超えていくことになります。近くにある大きな橋です」(新潮文庫『海辺のカフカ』上p.441)とこたえます。どこにいくかはまだよくわからないけど、今ここに着いてわかったこともある。私は次にここに行くにちがいない、という感覚。これが私たちがどこかわらないどこかに向かって行くときに活動させる大切な感覚、国語や算数を勉強する前から(きっと)私たちが持っている大切な感覚なのだと思います。偏差値などの数値化されたデータから統計的に合理的な判断をする時に「非合理的」とされる感覚。テストの「点数」や今の自分の「レベル」から志望校や進路を決定しようとする時に、貴方が身体の奥深くに眠らせている感覚を起こしてあげませんか。

そうそう、最後に忘れてはいけないこと。神戸から「大きな橋」を超えて四国に向かう「ナカタ」さんには行動を共にする「ホシノ」青年がいました。

「じゃあそれで決まりだ。バスの時刻もちゃんと調べてきた。これから一緒に四国行こう」(同書、p.458)

 生徒には講師という導き手がいます。教室で一緒に学ぶ生徒と講師が協力しながら、生徒にとり大切な目標へ向かっていると、私は信じずにいられません。


11月吉日  穎才学院教務

カテゴリ:

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://eisai.sakura.ne.jp/cgi-bin/mtos/mt-tb.cgi/197

 

Copyright c 2009 穎才学院 All Rights Reserved Powered by geniusweb